現代においてプロパンガスは
「LPガス」という名称と共に
多くの家庭や事業者で利用されるようになりました。

日本におけるプロパンガスの歴史は1929年から始まり、
最初は飛行船、車、それから家庭へと普及していきましたが、
最初はあくまで何かの代用品として利用されていたのです。

飛行船においては水素の代用品であり、
車においてはガソリンの代用品でした。
ですが家庭においては薪の優れた代用品として
積極的に使われるようになりました。

今回はこのプロパンガスが日本に普及するまでの歴史を見ていきましょう。

1929年 ツェッペリン伯号が茨城県 霞ヶ浦に着陸する

日本におけるプロパンガスの歴史は1929年から始まります。
日本に訪れた飛行船グラーフ・ツェッペリン伯号が霞ヶ浦に着陸し、
この燃料を補給する際にプロパンガスが使われたのです。

当時の飛行船は水素によって浮力を得ていたのですが、
成分の近いプロパンガス(炭化水素ガス)が使えることが判明し、
燃料補給を担当していたカーバイド・アンド・カーボン・ケミカルズ社が
水素と混合して飛行船の燃料としました。

このツェッペリン伯号は
ドイツの航空産業に大きく寄与した
フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵に
ちなんで名づけられた飛行船です。

1929年の当時になぜドイツの飛行船が日本へ着陸したかというと、
それは世界一周旅行を計画していたからとなります。

アメリカのレイクハーストからドイツのフリードリヒスハーフェン、
日本の霞ヶ浦から太平洋を横断し、
ロサンゼルスのマインズ・フィールドへ到達し、
またレイクハーストへと戻るという旅でした。

この旅程は無事に達成され、飛行船の性能を世界に証明する結果なったのです。
プロパンガス(LPガス)がこの旅に貢献したことは言うまでもありません。

1938年 プロパンガス(LPガス)が自動車用燃料として使用され始める

当時日本は国内で消費する石油のほとんどを
米国から輸入していました。

折しも日中戦争によって
欧米各国から侵略者として位置づけられた日本は
経済制裁としてアメリカから石油の輸出禁止という措置を取られたのです。

これは日本にとって著しい燃料資源の不足を招くことになりました。
そこで政府はプロパンガスを自動車用の燃料として使用できるようにし、
LPガスの名を冠したLPG車が運用されるようになったのです。

その多くはタクシーで、1941年の時点で生産台数は600台ほどとなりました。
この伝統は今でも継承されていて、
現代における日本国内のタクシーのうち約8割は
LPG車が運用されているのです。

経済の発展において石油燃料はかかせないものです。
もし米国と良好な関係を築き続けるよう努力を続けていれば
日本は第二次世界大戦に参戦自体しなかったかもしれません。
あるいは南方の油田権益を獲得したり他の輸入先を検討するなど、
何かしら石油を供給できる場所を確保するべきだったのではないでしょうか。

エネルギー資源はときに戦争の引き金にもなるほど大きな力をもっています。
しかし石油不足からLPG車というものが生まれたというのですから
歴史はどう動くか分からないものです。

1953年 家庭で使用されはじめる

諸説ありますが、1953年頃から
家庭でもプロパンガスが使用されるようになりました。

それまで家庭で使われていた燃料と言うと
「薪」
「炭」
「練炭」
といったものでした。

薪は木を伐採し、これを乾燥させ、火種から火を移し
やっと使えるというもので、炭や練炭を作る際にも手間がかかるものです。
さらにその火力は不安定で
毎日使うものとしては不便な道具と言えるでしょう。

そこへハイカロリーなエネルギー資源として
プロパンガス(LPガス)が導入されたことは一つの革新だったことは想像に難くありません。
簡単に扱えて強い火力を得ることができるこの道具は
瞬く間に全国へと普及していきました。

生活が豊かになった歴史の転換期ではありますが、
それだけに不安定な面もありました。
国内の製油所でプロパンガスを生成していたのですが、
それはあくまで石油製品の副産物であって
LPガスをメインに生産していたわけではありません。

そのため製油所が稼動していないときは生産されませんし、
そもそも石油が無ければならないのです。
LPガスの歴史としてはまだまだ始まったばかりだと言えます。

1961年 プロパンガス(LPガス)の輸入が始まる

家庭に普及したプロパンガスの需要は留まるところを知らず、
製油所からの供給では追いつかないようになりました。
プロパンガス(LPガス)用の貯蔵用タンクが用意されていなかったり生産過剰、
ないし生産不足といった状況も生まれたため
安定した供給が求められるようになったのです。

そうした状況の中、1961年、ゼネラル瓦斯が
LPG兼油運搬船「豪鷲丸」を運用するようになりました。
これは三井造船が竣工したLPGと原油の混載船で、
LPGの積載量は4700トンという大型のものでした。

この豪鷲丸を使いプロパンガス(LPガス)の輸入が進んだことをきっかけに、
段々と日本国内におけるプロパンガスの供給が行き渡るようになったのです。

ただ歴史を見ると豪鷲丸の処女航海時、
船体にコールドスポットが見つかったため
緊急点検や補修のためにプロパンの輸入が一時できなくなってしまったのです。
明確な原因は公表されていませんが、一説によると
ガスタンクの内側に低温が原因による破損が生じたと考えられています。

その後は似たような事故は起きていませんが、
重大な結果を招かずに済んだことは不幸中の幸いだったかもしれません。

まとめ

プロパンガスが日本に普及するまでの歴史を見てきました。

ときに世界一周という事業を果たしたり
戦争の原因にもなるエネルギー資源は
家庭や産業を向上させる道具でもあります。

プロパンガス(LPガス)は石油の副産物でしたが
今では一つの大きなエネルギー資源となりました。
限りある資源のうちでプロパンガスは
家庭でよく利用されるため人々にとって身近な資源と言えるでしょう。
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今村 一優の写真

エネルギー事業部責任者

今村 一優

新卒で太陽光発電事業を行うベンチャー企業に入社。商社部門の仲卸営業として、国内外の太陽光発電メーカーの商品を取り扱い、全国の販売施工会社を担当。その後、太陽光発電の一括見積もりサイト運営にも携わる。
2015年にはプロパンガス料金比較サービスenepi(エネピ)の立ち上げを行い、数万人のプロパンガス代削減のサポートをするサービスへ成長させる。
エネルギー領域で10年以上携わった経験と知識を活かして、じげんエネルギー事業のマネージャーにて事業開発を行なっている。

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ライター

藤巻 創

電気・プロパンガスに関する記事のライティングを担当。
制作ポリシーに基づいてエネルギー全般の記事作成・管理を行う。